人生すべてが実験ですから

会社員歴20年、年齢40代、資産1億円。FIREという人生実験の記録です。

やりたくないこと > やりたいこと

FIREしたら、あれやろう、これを始めよう、とワクワクしますよね。FIREの目的は、やりたいことをやって人生を豊かに過ごすことですから。FIREしたらやりたいことをやるぞ!

でも、FIREしたらやりたいことやる!って、そんな単純な話なんでしょうか?

今日は、そんなことについて考えてみます。

やりたいこと

そもそもですが、私、本当にやりたいこと・好きなことって、過去にある程度やってきた or 現在やっている or 今後も続けてやっていくつもりのものだと思うのです。言い換えると、40数年も生きてりゃ、やりたいこと・好きなことはすでにやってるだろう、ということです。

長い人生において、やりたいことをやる機会や環境はきっと誰にでも訪れるはずで、その都度、やりたいことを選択してきたはずです。私の場合、基本的に欲望に忠実に動くタイプであることもあり、幸運にもやりたいことはある程度カバーできてきた人生だと振り返って思います。感謝です。

なので、私は現時点、FIREしたらこれをやりたい!あれを始めよう!という明確な予定や意志はなく、過去にやってきたこと & 現在やっていることを、FIRE後の生活においても淡々と粛々とやり続けたい、と思っています。なぜなら、結局のところ、それがやりたいこと・好きなことですから。

そういう意味では、やりたいことは現在すでにやっている/できているので、もしかしたらFIREする必要はなく、いまの生活を続けていてもいいのかもしれません。

やりたくないこと

ところが、ちょっと角度を変えて、やりたくないこと・嫌いなことに目を向けると、話はまた違ってきます。

40数年間これまで生きてきて、やりたくないこと・嫌いなことは次第に明確になってきました。

例えば、他人や社会の価値観に縛られること、自己表現できない環境に身を置くこと、個人の選択の自由を制限する理不尽なルール、他人が怒りの感情をむき出しにする姿、などいろいろあるのですが、

もっとも苦痛なのが自分で時間をコントロールできないことです。

仕事をしていると、急な仕事が降りてきたり、短いリードタイムで突発案件が発生したりすることがあります。仕事ですから、どうしても急に対応する必要が出てくることがあるのは仕方ありません。これまでは、これが業務時間内であれば「仕事だし仕方ない」と割り切って対応していました。

しかし、管理職になり業務量も増え、さらに役職が付いて責任が重くなると、自分の時間を犠牲にすることが増えました。個人LINEに業務指示が届いたり、個人スマホでメールが見れる状態になったりすると、夜寝る前でも休日でも、24時間どこでも仕事にアクセスできて/されてしまいます。これが染みついてしまうと、夜ごはんのときも、友達や家族と団らんしているときも、自然豊かな田舎への旅行中も、常に仕事が追ってきて、自分の時間が侵食された感覚を覚えました。これが私にとっては大変なストレスであり我慢できないことであり「仕事だし仕方ない」では消化できないことでした。

同時にもうひとつ疑問を感じていたのが、仕事によって拘束された時間で何を産み出しているか、です。会社員である以上、ある程度時間を拘束されることは避けられません。ただ、その拘束された時間において、本当に意義のある仕事をしているか?有限である自分の時間を使ってまでやるべき仕事か?と思うことがよくあります。会社は、本当に必要かどうかわからない仕事を次々と「発明」し、社員の時間を奪いにきます。管理職である私自身が、他人(部下)の時間を奪っているのかもしれない、と怖くなることもありました。「ブルシット・ジョブ」というコトバが生まれたのも、私と同じように感じる人が多い世の中だからなのかもしれません。

人生の後半を迎えるにあたって「会社員としての仕事に自分の時間を奪われ続けること」から自由になりたいと思うようになり、その手段としてFIREに興味を持った次第です。

今日のまとめ

たいへん愚痴っぽくなりました笑

言いたいことは、人生の後半を考えるにあたっては、やりたいことよりもむしろ、やりたくないことに目を向けることで、自分の進みたい方向が見えてくるのかもしれない、ということです。

限られた残りの人生において、何を大事にして、何を捨てるのか。それを自分に問い続けて、ひとつひとつ選択していきたいと思います。だって、人生すべてが実験ですから。

All life is an experiment. ではまた。

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